箱屋常吉とは

箱屋常吉の歴史(江戸〜明治)

江戸時代末期すでに土佐堀界隈で木箱屋を営んでいたといわれ、弘化2年(1845年)大阪西区江戸堀で出生した笹井常吉が明治元年(1868年)屋号を「箱屋の常吉」『箱常』とし創業。
『箱常』の代々の得意先のひとつに、酒饅頭で有名な菓子司「高岡」があります。「高岡」は大阪で最も菓子商と言われ、現在も道修町で営んでいます。創業は寛永元年(1624年)当時の店舗は西区肥後橋東詰あたりに在りました。菓子職人の技を讃えられ、寛政元年(1789年)丹後主藤原俊親より「藤原福信」受領銘をうけ、後「高岡源福信」と名乗り今日に至る老舗です。

また『箱常』は江戸時代創業の菓子商「虎屋」の職人であった今中伊助が文久3年(1863年)東区高麗橋に開業した「鶴屋八幡」へも菓子箱を納入しています。これら老舗の納入先からも大阪で最も古い杉箱商『箱常』の長い歴史と伝統が窺えます。

出典:「浪速の魁」(明治15年刊)より。
   “菓子商 鶴屋八幡亭”とあり、蒸籠の周辺に小さく菓子折りが見えます。
明治の大阪/渡辺橋
明治の大阪/渡辺橋

箱常の歴史(大正〜昭和)

この時代『箱常』は大阪の有名料亭「つる家」「吉兆」「花外楼」などに料理箱として杉箱を納入し、また大相撲大阪場所の升席や京都「都をどり」で食されていたお弁当箱も手掛けてきました。
昭和40年代には大阪の老舗昆布店「小倉屋山本」の贈答用木箱、近年では「三輪素麺山本」の贈答用木箱も担ってきました。
この高度成長期に菓子箱、料理木箱から量産の贈答用木箱の製造へと時代の流れとともに変わっていきます。

明治時代の大阪場所
創業当時の常吉のお弁当箱
創業当時の箱屋常吉のお弁当箱

箱常の歴史(平成〜令和)

大量生産で安価な木箱が求められていく時代、材料も国産材では合わなくなり安価な中国材にシフトする中、5代目は中国の粗悪で薬剤塗れの木材をみて驚愕し、初代より受け継がれてきた国産杉の赤柾を使った角丸弁当箱を復刻することを決意します。
そこから五年余りの月日を要し、2018年念願の、初代の名前を冠したプライベートブランド「箱屋常吉」を立ち上げました。
国産杉の魅力と温かさを伝えるべく、木箱だけにとどまらず生活に寄り添ったものづくりを展開しております。

五代目の想い

木に守られた「木の国日本」。木とともに生きる「LIFE WITHWOODS」

この地球には様々な『箱』がある。自然という大きな『箱』のなかで皆暮らしている。お家も『箱』、身体も『箱』、心も『箱』。
人間も物も最後は土に還る、無機質のものではなく、命あるものを大切に使う、江戸時代の先人の生活を今一度見直してひと手間かけた丁寧なくらし、その暮らしの道具作り、箱の中にはたくさんの夢や想いが詰まっている。個性豊かな木や人の背景が見えるワクワクするような箱づくりを続けたい。

会社概要

沿革

– 1868年 –
大阪江戸堀にて 笹井常吉 箱常を創業
二代目笹井燕太郎
三代目笹井国三郎

– 1967年 –
四代目笹井 隆
大阪阿倍野区に工場移転

– 2007年 –
5代目笹井雅生
大阪生野区巽中に移転 株式会社に改組
伊賀上野工場設立

– 2010年 –
東大阪渋川工場に集約

– 2018年 –
プライベートブランドとして株式会社常吉設立

株式会社 箱屋常吉

所在地 大阪府大阪市中央区安堂寺町1-4-21
代表取締役 笹井絵里